江戸時代の文人が見つけた「小さな住まい」の豊かさ

坂井 禎介

 広い部屋、駅に近い都会の家。現代では、そのような便利な住まいが理想とされることが多いかもしれません。しかし、江戸時代の文人たちは、広さや利便性だけを住まいの価値とは考えていませんでした。むしろ、都会から離れた小さな建物に、自然と向き合い、心を落ち着け、人と語り合う豊かさを見いだしていました。

 その一人が、江戸時代後期の文人・頼山陽(らいさんよう)です。山陽は、1827年に『日本外史』を刊行した歴史家として知られ、詩や絵画にも親しみました。彼は各地の名家から依頼され、眺望のよい楼建築、美しい環境の中にある開放的な亭建築など、住宅系建築のすばらしさを漢文で記録しました。

図1 現在の黄葉亭の外観。小川が交わる場所に建ち、小川の心地よい音が響きます。丸太柱などを使用した茅葺の素朴なつくりです。(筆者撮影)
図1 現在の黄葉亭の外観。小川が交わる場所に建ち、小川の心地よい音が響きます。丸太柱などを使用した茅葺の素朴なつくりです。(筆者撮影)

 たとえば、図1の重要文化財である閑谷(しずたに)学校  の黄葉亭(こうようてい)は、閑谷学校への来客をもてなす休憩所です。山陽はこの亭建築を「簡素」や「小さい」と表現しましたが、それは否定的な意味ではありません。華やかな装飾や大きな建物は、周囲の自然の美しさを見えにくくする一方、小さい建物は外部と距離が近いため、風や光が内部に入り、自然が身近に感じられます。周囲の自然によって、空間はむしろ豊かになるのです。山陽も実際にここで、閑谷学校で教授をしている旧友と酒宴を行いました(図2)。黄葉亭の中で茶を飲み、酒を酌み交わしながら、親しい人びとと心を通わせる時間を重視しました。

図2 頼山陽の黄葉亭記にともなって描かれた絵図。急感な山や小川に囲まれた美しい自然の中で、数人が集まって過ごす小さな建築が理想とされたことがわかります。(1813から1818年頃の浦上春琴の筆)[所蔵]林原美術館/ 
図2 頼山陽の黄葉亭記にともなって描かれた絵図。急感な山や小川に囲まれた美しい自然の中で、数人が集まって過ごす小さな建築が理想とされたことがわかります。(1813から1818年頃の浦上春琴の筆)[所蔵]林原美術館/ 

 山陽は、ほかにも多くの記録文を書いています。そこには、清らかな月、海を行き交う船などの美しい眺望や、家族の声、馬やホトトギスの鳴き声、琴の音など、周囲の風景や音が細やかに記されています。山陽にとって、建築はそれだけで完結するものではありませんでした。建築はむしろ背景のようなものであり、その外に広がる自然や景色、音、人との交流こそが主役だったのです。また、山陽が建築の簡素さを肯定した背景には、簡素さに、家の主人の質素倹約で堅実な経営態度を重ね、家の永続を願う考え方もありました。そこには、儒者の家に生まれた山陽らしい、儒学的な精神も反映されていたと考えられます。

 頼山陽の記録文を読むと、豊かさとは、広さや便利さだけで決まるものではないことがわかります。小さな建物でも、美しい景色があり、耳を澄ませる自然の音があり、語り合う友がいて、茶や酒や読書の時間があれば、暮らしは豊かになります。黄葉亭を見つめることで、文人が理想とした住まい方や生き方が見えてくるのです。

この記事を書いた人
坂井 禎介
坂井 禎介
さかい ていすけ

奈良女子大学 生活環境学部 住環境学科 専任講師

専門分野:建築史、保存再生分野

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