人はどうやって『まっすぐ』を感じているのか?

藤本 花音

「まっすぐ立って」「まっすぐに貼って」――日常でよく使われる言葉ですが、「まっすぐ」を理解して身体や物の向きを合わせることは、私たちの生活に欠かせない能力です。「まっすぐ」が何なのか分からなければ、私たちは立つことも、物を正しい方向へ動かすこともできません。しかし、改めて考えてみると、「まっすぐ」とは何を基準にした方向なのでしょうか。

最も分かりやすい基準は重力です。物が落ちる方向を「下」、その反対を「上」と考えれば、まっすぐな方向を決められそうです。実際に、私たちの内耳には前庭と呼ばれる感覚器官があり、重力の方向や頭の傾きを感じ取っています。前庭のように重力を検知する仕組みは、多くの動物に備わっています。上下を知ることは、生物が姿勢を保ち、移動するための基本的な能力なのです。

しかし、私たちが常に正確な「まっすぐ」を判断できているかというと、実はそうではありません。暗い部屋で身体を横に傾けたまま、光る棒を重力に対してまっすぐになるように調整する実験があります。すると、参加者が垂直だと判断した棒の、実際の角度は本当の垂直から大きくずれ、頭から足へ伸びる身体の軸の方向へ引き寄せられることがあります(図1)。

図1:直立時と身体を傾けたときの垂直判断
図1:直立時と身体を傾けたときの垂直判断

この現象を説明するため、ドイツの生物学者ホルスト・ミッテルシュテットは自己身体ベクトル(idiotropic vector)という考え方を提案しました。脳は、前庭から届く重力の情報だけでなく、自分の頭や身体の向きも手がかりにして「上」を推定している、という考え方です。

身体を起こしているときには、重力が示す上方向と、身体が示す上方向はほぼ一致します。ところが、先ほど紹介した実験のように身体を傾けると、二つの方向は食い違います。脳はどちらか一方を選ぶのではなく、両方を組み合わせて判断するため、感じられる「まっすぐ」が本当の重力方向から少しずれると考えられています(図2)。

判断にずれが生じると聞くと、上記の自己身体ベクトルが余計な存在に思えるかもしれません。しかし、前庭の機能も決して完全ではありません。前庭から届く重力の情報は、実際には大まかなものです。また、病気や一時的なめまいなどで機能が混乱することもあります。身体の向きを「上」の手がかりに加えることは、重力の情報が不確かなときにも、安定した世界を感じるための脳の工夫なのかもしれません。

図2:重力方向と自己身体ベクトル(idiotropic vector)に沿った内的な基準の合成
図2:重力方向と自己身体ベクトル(idiotropic vector)に沿った内的な基準の合成

さらに、前庭や自己身体ベクトルに加えて、建物や地面の向きなど、目に見える情報も「まっすぐ」を決める手がかりになります。人が感じる「まっすぐ」は、重力の方向をそのまま反映したものではありません。複数の感覚情報と身体に基づく内的な基準を脳が組み合わせ、そのつど推定しているのです。

この記事を書いた人
藤本 花音
藤本 花音
ふじもと かのん

奈良女子大学 生活環境学部 文化情報学科 生活情報通信科学コース 専任講師

専門分野:バーチャルリアリティ、視知覚

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